7月 23rd 2010 · Read More · No Comments
ここ数日の暑さにボーとしています。暑いと考えられなくなるんですね、ほんとうに。夜に冷房を使うことを検討したほうがいいのかと思ってしまいます。
パソコンオタクの後輩がいるのですが、彼、自宅でPCを数台同時に動かし続けていました。夏になるとPCの動作がおかしくなると発言していました。確か、熱暴走といっていましたね。
人間も熱暴走を起こしてもおかしくないですよね。
熱暴走の影響で、寝ているときに悪夢を見たりするかもしれません。怖い夢だったり、うなされるような夢だったり・・・。夢はシンボリックな表現をしますから、その解釈は、多義的で、また他人にはまったく理解不明だったりすることもあります。
シャーマンたちは、夢を通して、いろんなことを知るそうです。夢は無意識の現れ、また、催眠の状態でもあります。私も夢について理解を深めたいと思うのですが、私自身が、目覚めとともに夢が霧散してしまうタイプで、なかなか体験を深めることができていません。
熱暴走を起こしている今なら、夢見の体験を深められるかなぁ?とちょっと期待もしてしまいます。
7月 21st 2010 · Read More · Comments(2)
HPの改造に着手しだして、黙々と語らずにPCとにらめっこをしていると、話し相手を見つけてしまうと、ねぇねぇとなってしまいます。
知人のAさんと、お話をする機会がありました。「あれがこうしたで、ぷぃぷぃ」、「それでこんなんで、ぷぃぷぃ」、「でもって、あれだから、ぷぃぷぃ」・・・。お話と言うより私ひとりが熱弁をふるっていたのです。
おもむろにAさん、「・・・ん~なんだなぁ、ぷぃぷぃと不満を飛ばしては、また、ぷぃぷぃと不満を飛ばして、ひとつひとつ飛ばしていったら、最後には自分の中に何にも残らなくなってしまうねぇ、なんか大切なものをなくしていくというか、良いのかねぇ・・・」とぽつり。
おぉ!まさに真理。自分を省みることなく、熱弁をしていたことが恥ずかしくなってしまいました。
7月 20th 2010 · Read More · No Comments
堅いおタクなお話を。
最近のインターネット・コミュニケーションにSNS(ソーシャルネットワークサービス)が人気です。日本ではmixiが有名ですね。海外ではFacebookが人気です。また、twitterが世界的に人気を得ています。私もいろいろ試していますが、それぞれの特徴が異なり興味深いです。いまは、Facebookとtwitterを実験中です。
mixiはハンドルネームを使用している方が多いです。自分の「日記」をつづり、それに対してコメントの書き込みがあるといった感じです。Facebookは実名を使うことが約束になっていて、自分や他人の掲示板、写真に書き込みをするといった感じで、twitter的なものを感じてしまいます。
日本語は、人間関係がその言葉の中に組み込まれていますから、コミュニケーションをするとき、まずお互いの人間関係を明らかにしないと、コンタクトがとりにくい特徴があります。
初対面なのに「ためぐち?」みたいなのは敬遠されますよね。では、初対面の人にフランクに接しようとするとどんな表現をしたらいいのか?ちょっと悩んでしまいます。けっきょく、丁寧に話しながら、相手との関係を探りつつ、表現を変えていきます(私が年配だからかもしれませんね)。
日本で匿名やハンドルネームが好まれるのは、匿名やハンドルネームが人間関係を明らかにしないですむ「なんちゃって存在」の気楽さをもっているからだと思います。匿名やハンドルネームだと、日常の気遣いの世界で生きている自分とは異なった存在として発言できるのではないでしょうか? 人によっては、マナーの枠を超えてしまう人もいます。
実名で行われるコミュニケーションでは、自分自身を表現しているわけですから、そこには、自分でいることを認める文化、そしてそれを尊重する背景があると思います。これがないと、息苦しさを感じるようになると思うのです。
この感想は、私の体験の狭さによるのかもしれませんが、これとて、いまの私の身の丈から出てくる感じ方です。等身大の感想です。
最近、mixi から Facebook に軸足を移しています。日本ではマイナーなのかもしれませんが、興味があるかたは、コンタクトお待ちしております。
7月 20th 2010 · Read More · No Comments
ヒューマンデザインの語る会を開催しました。
今日は梅雨明け後ということもあってか、青空のように、すっきりとされていました。いつにもなく会話が弾みました。
今回は、Pure Generator の方が新しく参加されました。この語る会もインターナショナル的な注目を集め出したようで(ちょっと誇張しすぎでしたね)、外国の方も参加されました。
今日は、ルートセンターが定義されている人とされていない人との違いや注意点、ハート/エゴセンターでの約束できる人とできない人など、個々のセンターについてトピックが上がっていました。
そして、一番の話題はマニフェスターは何でも知っている必要がある?というテーマで、ディスカッションが深まりました。
集会後、廊下で参加者同士で痛みを和らげるには・・・とシェアされているのを見て、良い感じに交流が始まっていると嬉しくなってしまいました。これも、主催者冥利といったところです。
※ブログ『ヒューマンデザイン東京』
こちらで、ヒューマンデザインについての体験をシェアしています。
7月 18th 2010 · Read More · No Comments
桜木町で買い物に出かけたら、たくさんの人がいました。年末の上野・アメ横みたいな感じでした。海に近づくに従い、飲食店の前では、冷えたビールは如何ですか、おつまみに○○のスナックは如何ですか・・・と呼び込みをしています。お店の人を捕まえて質問すれば、今日は山下公園にて花火大会とのことで、その賑わいだったわけです。
人混みを歩き慣れていないので、かなり疲れてしまいました。ボーと壁際に座って通りを眺めていますと、カップルで、親子で、友だち同士で、三々五々と集団が通り過ぎていきます。浴衣を着た若い女性を多数目撃しました。ちょっと目の保養になりました。
振り返ってみて、夏にガールフレンドと浴衣で出かけた経験がないことを発見。ジャパニーズ・スタイルとは縁がなかったんですね。私自身、浴衣を着ての夏祭りは体験がないです。
中学生の時に、姉と姉の婚約者さんと一緒に夏祭りに出かけたことがあるのですが、そのとき、婚約者さんは姉に浴衣を着せてもらっていたような記憶があります。姉が嬉しそうにしていた気がします。私、軽度のシスコンでしたから、なにか落ち着きの悪さを感じていたかもしれませんね。
浴衣を普段から着慣れているのと着慣れていないは、歩き方でわかりました。観察していたところが、風の強いところでしたから、ボーとして眺めているだけでも、足運びと裾への気遣いに違いがあることを発見。ほとんどの方が洋装派で、和装は初めて!みたいな感じです。とてもぎこちなかったです。和装はもう日常からかけ離れた存在になってしまったんですね。
和装にはゆったりとした時間の流れを、ノスタルジーなのか、感じてしまいます。今風のスピーディーな時間の運びとはかなり異なる装いのようです。オフタイムぐらい、和装で過ごしてのんびりするのも良いのでしょう。ということで、今日はトランクス一丁に上半身裸で、夜を過ごしています。まさに、ジャパニーズ・スタイル!(オヤジスタイルかな?)。品は良くないんですけど、涼しい。
7月 17th 2010 · Read More · No Comments
日本・マレーシア、親善会食を桜木町で行いました。知人のNazrulazliさんがマレーシアからビジネスで来日していたので、急遽会いましょう!となりました。
桜木町駅前から赤レンガ倉庫、大桟橋と散策した後、桜木町駅前のColette-Mare 海風季(かぶき)にて会食となりました。Nazrulazliさんは、日本に留学したこともありとても日本語が流暢で、私は、終始、日本語で会話を続けました。
(海風季の佐藤さん、村上さんありがとうございます)
マレーシアはイギリスの植民地だったこともあり、文化的にはイギリスと関係があるそうで、英語も日常的に使われているそうで、語学的には世界が活躍のフィールドだそうです。英語はできた方が良いんですね・・・。
色々とムスリム文化やマレーシアの文化についてお話を伺いました。直接聞いてみないとわからないことがたくさんあるものです。普段聞いていて思いこんでいる知識に、ずれがかなりありました。
特に面白いなぁと感じたことは、ムスリムのイベント、断食についての考え方でした。十分に食事ができない人が世界にはたくさんいる、その人たちの体験を少しでも感じ、自分たちの今に感謝する機会として断食がある・・・Nazrulazliさんはこんなふうに自分なりの考えを述べていました。
それから、Facebook とmixi の違いで、Facebook での実名主義について意見を聞きました。日本での匿名(ハンドルネーム)と、Facebook での実名とでは、社会に臨むスタンスの違いを感じました。「嘘の自分を出してどうするの?」という意見は強烈なメッセージを伴っているなと思いました。これって、自己肯定感に関係あるのかもしれないと思いました。
異文化の人と接すると、人の世に対しての捉え方に強制リセットがかかりますね! 内向きの対応には限界があるのかもしれません。もし、いま、閉塞感や限界を感じているなら、きっと内向きになっているのかもしれませんね、そんな気がしました。
7月 16th 2010 · Read More · No Comments
きょう、又聞きで知人Aさんの動向を知りました。あらら、似非グルさんに貢いでしまったのねぇ・・・です。スピリチュアルにまつわる胡散臭さをまた聞いてしまいました。
10年ほど前のことです。スピリチュアルに初心(うぶ)だったため、スピリチュアルってこういうものなんだ!と、最初に見たスピリチュアル集団をそのまま私の人生に受け入れてしまいました。
8年のあいだ体験しました。人間模様を体験するのに、私にとっては凝縮した場所でした。時々、胡散臭さを感じることはあったのですが、自分の内なる声には耳を傾けずにいました。周りに迎合して、自分の意見を貫けなかったわけです。
今振り返って思えば、何がスピリチュアルだったのかよく分からないのです。確かに霊能力はあったのでしょう、でもね、それが人格・人徳を等しく反映しているわけでもないし・・・。
私が学んだことは、内なる声に耳を傾けること、バランスを感じること、タイミング・共時性を意識すること、損得勘定で決断しないこと、急がば回れ・・・です。これは、その集団の主宰者(グルっていうのかな、今の私にとっては似非グルですね)を反面として学んだことです。高い授業料でした。
で、3年ほど前に、似非グルさんのもとを去ることになりました。やっと決断ができました。君、ここに至るのに時間がかかり過ぎだ!・・・と自己突っ込みです。
去るときに周囲の人が声をかけてくださいましたが、「あなた自身が何か損をしたわけではないんだから・・・」という慰留の言葉は、本質を表現していて可笑しくも哀しかったです。スピリチュアルだったのに幻惑ビジネスに変わり果てていて、また、他人が損をしても自分が損をしなければ良いという品性など、自分もその色に染まっていたかもしれないと反省もしました。
スピリチュアルの胡散臭さに、私自身が染まらないように、気をつけています。今の私は、周囲と自分自身に耳を澄ますことを心がけています。いろいろと気づくことがあります。スピリチュアルって実はとってもシンプルなことなのかもと思う最近です。極々、日常的なことなのかなぁと思うのです。
7月 14th 2010 · Read More · No Comments
気温はそろそろ夏日と変わらなくなるそうです。でもまだ梅雨・・・早く湿気も夏日のようになって欲しいです。
こぅ蒸してしまうと、冷房を使わない生活は、体に応えますね。ヌボーとしていて、どこか意識が飛んでしまいます。皆どことなく、やつれているように感じてしまい、冥界の様はこのようなものか・・・などとついつい思ってしまいます。まだ行ったことがないんですけどね!
この蒸し暑さで出てくる、じっとりとした汗、不快ですようね。この汗をだすと体に良いと温浴・遠赤外線の健康オタクさんに教えて頂きました。確かにそんな感じがしてきます。
こころも、この高い不快指数のとき、ストレートに自分の中にある未完了な気持が出てきやすいです。出し方に気をつけましょうね!
情動と感情を分けて表現していることがあります。情動(Emotion)は無意識と関係し、感情(Feeling)は意識と関係しています。関連する脳領域も違ったと記憶しています。情動は、嗚咽とか怒るときに震えたりとか体の反応を伴うものです。静かに、訳もわからずに出てきしまう涙も情動です。
私の個々人的な体験ですが、こんな気候の時には情動が出やすくなります。突発的な「情動」に注意!先日の雨の時に、風と雨の打ちつける音に反応したのか、気持が揺れて涙が静かに湧いてきてしまいました。
それにしても、暑いです・・・
7月 12th 2010 · Read More · No Comments

午前は愚図ついていた天気も、夕方にはすっきりと晴れ渡りました。なんとまぁ、気持ちの良いことでしょう。そんな景色を眺めていたら、新月だったことを想い出してしまいました。また、憎しみについて書いてみたくなりました、
憎しみは良くないことと言われています。ネガティブなエネルギーですからできればご遠慮したいものですね。
ところが憎しみが自分を護っているという一面を持っているんですよと発言すると、ビックリされる方が多いです。憎しみに至る過程は、自分のこころを護ろうとして作り上げた心の鎧なんです。そうやって自分を護っているのです。やがて、心が強くなってきて「憎しみ」という鎧が不要になってきます。そのとき初めて憎しみから卒業できます。
いつ卒業なの? そんな問いかけが聞こえてきそうです。それは憎み続けることが苦しくなってきたとき、健康に変調が現れたとき、自分に向きあってみたいと思い出したとき・・・。きっかけは色々。
憎しみの感情も、この世に存在する意味があるんです。まさにヒール、嫌われ役です。
7月 10th 2010 · Read More · No Comments
窓から夜景を眺めつつ夜風にあたっていると、
軽く酩酊していたのか、フレーズが思わず口を突き動かしました。
「我が人生にクイなし!」と。同時にイメージしてしまった情景は、地面に突き刺さっている木の杭でした。
クイはクイでも、杭のクイなんだと思わずたじろいでしまいました。
何で杭なの?ここは悔いでしょう! その心象風景を肯定的に受け止めるには、少々酔いが回っていました。
機会があるときに、自己催眠で探求してみたいと思います。
同音の言葉がありますから、意味を読み違えるとまったく異なった展開になってしまいます。
先日読んでいた本に、やまと言葉がどのように世界を理解していたのかについて書かれていました。「葉(は)」、「歯(は)」、「端(は)」は漢字でこそ異なりますが、この「は」はやまと言葉だそうで、はじっこや先っぽのことを表している同じ言葉だそうです。「目」と「芽」は同じ「め」、「花(はな)」と「鼻(はな)」は同じ「はな」。
漢字から見てしまうと異なるものになりますが、ひらがなにすると同じ言葉になってしまいます。こんな言葉がやまと言葉にはたくさんあるそうで、細かく区分していない表現力に、ちょっと注目してしまいました。ひらがなの世界に舞い降りて、小学生低学年の気分を味わいながら、言葉をつづってみるのも新たな発見があると思います。
そういえば、こんな言葉遊びもありました。鏡を見ている自分を抜き取ると、そこに映っているのは神(「かがみ」-「が」=「かみ」)。初めて聞いたときは、唸ってしまいました。